1970年 名古屋まつり 花電車・コニー360

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下江川線 八熊通り交差点にて、先頭車のスポンサーは大須ういろ
1970年の名古屋まつりは10月10日(土)〜15日(木)の六日間。

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後続車のスポンサーは日立製作所(意匠は新幹線0系風の特急車両)

この年は四両の花電車を製作、二両づつ二路線で運行(他二両のスポンサーは三共光ソース青柳ういろう)ただ前年までは六両製作、三両づつ二路線で運行しており、流石に二両では寂しかったのか、翌年から1973年の最終運行まで三両製作、一路線運行となる。

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写真は八熊通電停から尾頭橋・水主町方面を望むが、この区間は翌年1971年3月末で廃止。因みに中央ビル屋上のネオンサインは、愛知機械工業(株)の販売系列日産コニー店のもの(上から、コニー360サニー 1000か?、キャブスター

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愛知機械工業はこの写真を撮影した1970年10月、自社ブランドの軽自動車生産から撤退。コニー店は日産の新型車チェリーの発売に合わせて日産チェリー店に名称変更されたため、この年度末をもってコニーのネオンサインは見納めとなった。

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軽四輪トラック「コニー360」のデザインは昭和三十三年(1958)五月、東京の新大久保にあった宮田脩平デザイナーの事務所で始まった。 コニーは「楽しく仕事ができる、明るく、運転のしやすいクルマ」というコンセプトが設定されていた。このためデザインは、親しみやすさ、軽快感、安定感をテーマとして進められたが「軽自動車」という限られたサイズの中でいかにボリューム感を出すかが最大の難問であった。しかも、アイデアスケッチは僅か二週間という限られた時間の中で答を出さなければならなかった。その間、宮田デザイナーは文字通り不眠不休であったという。

当時クルマのデザインはフェンダーの前にヘッドライトを置くのが主流であったが、コニーはそうしたデザインから脱却することで独創性を追求。“カエルの目玉” の愛称で親しまれた特徴的なヘッドライトを持ち、ボンネットのラインを車体の側面まで延ばした当時としては斬新なデザインを完成させた。全長約60cmの5分の1クレイモデルも、僅か二ヵ月という短い期間で製作された。この頃、粘土はメガネケース二個分の大きさ(約100g)で2,000円。粘土を削る道具も宮田デザイナーの手作りであった。

最終的にカラーリングを決定したのは、名古屋のであった。カラーリングの異なる数台のコニーを走らせ、街の中でいちばん映えるツートンカラーに決定したのである。 

この記事へのコメント

  • gop

    会社沿革を見ると、1970年2月「サニートラック」生産開始(初代B20では無く、二代目のB120、翌年1971年2月発売)
    https://www.aichikikai.co.jp/company/history.php
    サニー(初代B20)はコニー店で扱っていた。以下サイト二枚目の写真、市電日比野~西町の電柱看板に「サニー1000」と「コニー360」
    http://www7b.biglobe.ne.jp/~railbus/0245Funa.html
    サニーの車名は表向き一般公募キャンペーンで決めているが、ニッサン+コニーでサニーだったとか。
    2024年10月12日 07:33
  • のり

    ♪ ボンボンボンととけいがみっつ〜…

    名古屋に居たころ、カーラジオから流れるCMソングをよく耳にしました。
    今でも流れているのでしょうか…

    ♪ おおすういろとないろ〜です
    2024年10月12日 07:59
  • gop

    コニー失速の最大の要因:軽乗用車の新規開発に関しては「宮田脩平とグッピー」に詳しく載っている。https://amzn.asia/d/7l1SSva
    150はFWD、その前140はRRだが小型サニー1000風のクリーンで好ましいデザイン。宮田さんはコニー全車に関わって1968年に退社されている。
    2024年10月12日 14:56
  • gop

    日経切り抜いて持ってます。
    1970年と言えば大阪万博。万博後に開催された東京モーターショーで展示された電気自動車「ニッサン315X」グッピーシャーシで当時愛知機械のデザイナー伊藤稔氏が日産に出向しデザインされたそう。
    https://www.allcarindex.com/concept/japan/nissan/315x-a
    この日産のパンフ持ってる。
    https://www.youtube.com/watch?v=YqUDQnVUD8k
    トヨタEX7にベレットMX、高度成長末期まだ夢が残っていた時代。
    https://www.youtube.com/watch?v=89gTX1a0p7s
    2024年10月13日 06:46
  • しゅう

    コニーというクルマ、当然?実車は見たこともないのですが、ピックアップトラックのコニーグッピーは聞いたことがあります。名古屋市内もこのように路面電車が華やかな時代があったのですね。いまの時代
    も生き残っていれば低床LRTが走って富山や宇都宮のように時代の最先端モデル都市だったかも。京都もそうですが、市電の路線を全部廃止しなくても良かったのにと思います。
    2024年10月13日 11:02
  • ナツパパ

    自動車の姿には見覚えがあるのですが、コニーという名前は初めてです。
    360ccの軽自動車は本当に小さくて、今見ると危なっかしく感じられ、
    でも、今の車よりも軽快ですっきりして見えますね。
    名古屋市電は高性能の車輛も多くもっと残ってもよかったのになあ。
    愛知岐阜といった自治体が路面電車に冷淡ではありましたが。
    2024年10月13日 16:09
  • gop

    > しゅうさん
    1970年代は京都も名古屋も交通量が増加、市電廃止〜地下鉄整備のピークでしたからね。名古屋はLRTの代わりにSRTを走らせる様ですが、さてどうなることやら。https://kuruma-news.jp/post/730389
    2024年10月13日 18:11
  • gop

    広小路通りでは全車両揃って走っていたらしい(〜1969年:六両、1970年:四両、1971〜73年:三両)当時名古屋まつり開催期間は町内の祭り含め、五〜六日間だった。この期間だけは親公認で夜遅くまで遊べた。
    2024年10月14日 21:18