僕らの旅 1972

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1972年(昭和四十七年)7月

マイカー所有が遠い夢だった1950年代、その実現に大きく貢献した軽自動車360を生み出したスバル(当時 富士重工業株式会社)は、1972年7月に新たな軽自動車「レックス」を発売した。

当時の流行を反映した抑揚が強いボディラインが特徴だった。1976年に軽自動車規格が変更され、排気量が360㏄から550㏄に。車体幅や全長の上限が増した。その際スバルは、初代レックスの幅を広げ、エンジンを載せ替えて応じた。

取材車は新規格対応後のモデル。基本的に360㏄時代の車体を継続するもバンパー・テールライトの大型化、明るい色調に一新した内装で新鮮な印象を得た。さらに当時のハッチバック車ブームに乗り車体後部のガラス窓を開閉可能とした「スイングバック」を設定。使い勝手の良さで好評を博した。現代の軽自動車は背が高い車種が増え、驚くほど車内が広い。一方、快適装備は高級車並みに揃うために高価となり、敷居が低いクルマという印象を覆しつつある。

それに比べると、初代レックスは絶対的な広さは望めず、装備も大幅に少ない。しかし大人4人が乗れる空間は確保し、日常の買い物に十分な積載性も持つ。ダイレクトに車外の音が入る走行感覚は、むしろゴーカートのような楽しさを感じさせるほどだ。かつての軽自動車は「気軽に履けるスニーカー」のような存在だった。初代レックスは、その時代を思い出させてくれる。
Casa BRUTUS9月号 Chill CARS より

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TAKURO ブログ「愛車」
東京の生活に慣れ、収入的にも少しずつ余裕が出てくる頃になって「スバル レックス」という車のCMソング依頼が飛びこんで来た。「振り返ってみるのもいいさ〜 道草食うのもいいさ〜 僕等の旅は果てしなく続く」これが好評を得てスポンサ-から所属事務所に2台のレックスが寄贈される。

そして、この車が僕の東京での「初乗り車」(って言い方あるかな?)となったのだ。(実は上京後に所属していたE社では通信販売の物品を運んだり、他の歌手のレコ-ド等をレコ-ド店に運んだりする事もあったので会社の車を運転していたが・・マイカ-ではなかった)

以後 50年以上の音楽人生で「愛車として乗り回した車はレックスを含めて16種」だった。レックスは当時の所属事務所では今は亡き盟友、陣山君という人物が1台を愛用していたが・・・・ある日、渋谷公会堂で僕のLiveがあり、彼の運転で会場へ向かった事があった。あいにく雨の日で会場の横にある駐車場に車を止めて楽屋まで走った。

楽屋に落ちついて、しばらくして窓から外をながめていたら・・マネ-ジャ-の渋谷君が言った。「ね-タクロ-!あの車でさっき来たんだよねえ?あのモスグリ-ンのレックスだよねえ?」「うん、そうだよ、陣山の車で来たんだよ」   「え?陣山さんは、まだ車に乗って居るんですか?」「え?どうしてさ!陣山は、もう会場のスタッフ整理でソッチに行っちゃってるだろう?」「アッ!そりゃ-マズイよ!・・あそこに停めてあるレックスはワイパ-が動いてるよ!」

陣山君は、その後も愛車を次々に乗り換えて、それなりに車に詳しかったが、彼の車の助手席に乗りたがった人はゼロだった・・と記憶する(女子も含めて)2024.9.9 投稿文から抜粋。


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代 レックスレコードを頂きに行った近所のディーラーにて 1973.3.11 撮影

因みに「今は亡き盟友、陣山君」とは、陣山俊一氏。

1947年 福岡県行橋市生まれ。ジ・アマリーズのボーカル・12弦ギター担当、にほんの歌を歌う会の会長を経て、ユイ音楽出版入社。レックスと同じ、1972年7月発売「 元気です。」に収録されている「夏休み」の口笛パートを担当したが「陣山だけヒューヒュー言うだけで鳴らなかった(爆)」と、LP発売前のバイタリス フォークビレッジで拓郎が語っている。名曲「春を待つ手紙」は陣山夫妻の手紙のやり取りを曲にしたもの。

以上、レックスの話題が続き、懐かしくなってアップ。

この記事へのコメント

  • gop

    排ガス対策優先の時代。ホンダ同様、触媒無しのSEEC-Tでクリア。Casa BRUTUSの文中にもある様に、拡幅され格好も少し良くなった。
    「Have a nice day」も近所の行きつけ写真店で頂きました。
    2024年10月06日 08:11
  • kanican

    レックスにスキッパーみたいな、こんな明るい色ってありましたっけ?
    野暮ったい色のイメージしかないなぁ。
    それにしても拓郎はいろんな車に乗ってきましたね。
    BMWのカブリオレにはびっくり。
    2024年10月07日 00:23
  • gop

    550になってカラフルなボディカラーになりました。
    https://aucfree.com/items/t680548677
    ソリッドの赤青黄緑はレオーネ末期にもあり、こちらもボディパネルのキャラクターラインがシンプルになって随分マトモに見えたものです。
    https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u1104851337

    拓郎著「自分の事は棚に上げて」の中に「色々な車に乗ってついにこいつ(ポルシェ)を決断したものの、あまりのゴツゴツ感に最初は悲鳴すら上げたものだが、現在になっては他の車の事を考える気にもならない」とあり^^
    2024年10月07日 06:29
  • ナツパパ

    見たような記憶はあるのですが、いま一つはっきりとせず。
    記憶って曖昧なものですねえ。
    こういった小型の車を、これから欲しいなあと思っています。
    75まで乗るとして、この次が最後の車かな。
    納得のいく車に乗りたいなあ、と夫婦で話しています。
    2024年10月09日 12:39
  • しゅう

    このレックス、たしかRRレイアウト採用でエンジンが後部にあったように記憶しています。私の叔母が乗っていました。当然MT4速ですが、地方の道路では必要十分でした。車内が独特のエンジンからのオイルのにおいがいつもしていたように思い出します。
    2024年10月09日 12:41
  • gop

    > しゅうさん
    中身は先代のR-2そのままなのでRRでした(水冷2サイクル直列2気筒)
    担任の先生がR-2で、時々乗せてもらいましたが、結構良く走った記憶があります。ただホイールハウスが室内に張り出していて、足元が狭かった。
    https://www.subaru.jp/onlinemuseum/find/collection/r-2/index.html
    2024年10月10日 06:58