昭和十六年「祖父の寫眞機」と「或る隧道」確定編

koilos .jpg
左:2017年にアップした祖父撮影「或る隧道」このトンネルは何処にあるのか、時期含め再検証。右:この撮影に使用した「祖父の寫眞機昭和9-12年製(1934-37)日独合作プレートカメラ。https://monom0no.seesaa.net/article/2006-05-09-1.html

zuido.jpg
先ず祖父の旅先を調べ撮影時期を想定(佐世保昭和16年)プリントを高精細で再スキャン、改めてトンネルの詳細を見直してみると、先のトンネルを出た左側に白い欄干の様なもの、右側には二階建て?の建物があり、その先さらにトンネルが続く様にも見える(列車走行中?露出を失敗したのか二回露光しており、暗い方には写っていない)軌間は狭軌(1067mm)単線馬蹄形トンネルが直線上に連なっている場所。以上を考慮し、出張先の佐世保間を探索。

すると、以下の鉄道がヒット。

matu.jpeg
旧鉄道省 伊佐線(JR松浦線を経て現在は第三セクター 松浦鉄道 西九州線

昭和3年(1928)2月:鉄道省伊万里〜佐世保を結ぶ伊佐線軌間1067mm)着工。

昭和10年(1935)11月9日:伊佐線の佐世保〜北佐世保間を延伸開業。佐世保の街中に高架橋とトンネルを建設、九州初の市街地高架鉄道となる。三連トンネル、名切隧道 55m・下名切隧道 54m・小佐世保隧道 60m 完成。

昭和11年(1936)10月1日:鉄道省、佐世保への石炭輸送のため佐世保鉄道軌間762mm)を全線買収。但し伊佐線とは軌間と地上高が異なり上佐世保〜北佐世保間は未接続(昭和20年2月までに改軌し接続、松浦線となる)

昭和16年(1941)1〜2月:祖父 佐世保滞在
(接続前、伊佐線は三連トンネル先の北佐世保が終点

zuido2.jpeg
展望動画「鎮守府佐世保」松浦鉄道編 1:13:15〜 直線上三つの馬蹄形トンネル。

上動画に書き込まれた、昭和16年頃を知る方のコメント(一部抜粋)

非常に懐かしい線路です。1:13:03(花園町橋梁)〜1:13:21(名切隧道・橋梁)の間は思い出のある所です。昭和14年頃 中間辺りに住んでおり、昭和16年 山手国民学校に入学。名切橋梁〜花園町橋梁の線路を歩いて叱られた事もありました。花園町と言えば遊廓街で、夜になると綺麗なお姉さん達が宴会を。子供心に早く大人になりたい願望がありました。父は職業軍人でしたので「海軍橋」を渡り購買部に。鎮守府右手前には木造二階建ての海軍病院があり、母は昭和12年他界しました。

このコメントにある「ナキリ(名切)」と「海軍橋」の文字を祖父のメモ帳に発見。

nakiri2 2.jpg
さらにメモの地区町名を調べてみると「松浦町

祖父が宿泊した中村旅館も同じく松浦町(佐世保海軍工廠出張編参照)恐らく旅館の場所は海軍橋の右斜め下に書かれている四角の角地。とすると中村旅館から三連トンネルまでは僅か1〜2kmと近く歩いて行ける距離にある。因みにメモ左端の◎印は佐世保鎮守府庁舎、下の四角は佐世保駅

最後にGoogle Mapでトンネル・橋梁の位置関係を確認。結果、祖父の写真は小佐世保隧道出口から下名切隧道を撮影したものと考えられる(その先に下名切橋梁〜名切隧道:上の拡大写真)

以下、現在のほぼ同じ場所「松浦鉄道 フォトコンテスト入選作」

201307091351058809.JPG
トンネルが3つ(北佐世保中佐世保間)

長い年月を経て周りの景色は変わっているが「或る隧道」は「旧鉄道省 伊佐線」でほぼ確定。

しかし何故、祖父はこの高架線の線路上を歩き、トンネルの写真を撮る必要があったのかわざわざ「ナキリ」とメモしたと言う事は、この場所に行く何らかの理由があった筈。加えて当時の佐世保は要塞地帯に指定されているので、要塞地帯法により鉄道施設の撮影にも許可申請が必要だった。

或る隧道の謎は続く・・

祖父の写真機:CAMERA-Wiki http://camera-wiki.org/wiki/Koilos
Unknown plate folder with a Koilos shutter and a Heliostar lens, at the Monomono blog
プレートホルダーは山下裕次郎商店製。

この記事へのコメント

  • pogpog

    盆休み最終日に相応しい大作。お祖父様も孫にここまでして貰って喜んでいる事だろう。ところでこのカメラ、今も使える?
    2024年08月18日 09:47
  • gop

    余計な事をしてくれたと言っているかも。
    ガラス乾板は勿論フィルムバックも無いので、暗所でブローニーフィルムをカットして装填するしかない。それで撮影は可能な筈だが非常に面倒。
    2024年08月18日 14:07
  • Cedar

    差所のお写真拝見して「ひょっとして佐世保市内の高架かな」と思いました。詳細な記録を拝見してると、なんだかドキュメンタリー番組のようでワクワクしますね。
    2024年08月19日 23:57
  • gop

    > Cedarさん
    恐縮です。盆休み祖父の供養も兼ねてトライしてみました。
    詳しい方が見れば案外簡単な問題だったのかも知れませんね。今後共ご教授宜しくお願い致します。
    2024年08月20日 05:48
  • Cedar

    再コメ失礼します。昭和45年春休みに鉄仲間と九州旅の時に、門司港からの夜行列車(というのがあったんです)で佐世保で平戸口行きに乗り換えて発車したら、いきなり市街地を高架とトンネルで抜けていくのが鮮烈な印象でした。そのあと架線も無いここには何度も行っていたのでした。
    2024年08月20日 19:51
  • gop

    > pogpogさん
    伊佐線は延伸廃止を繰り返しており、年表を読んでも良く分からない。
    この図は佐世保鉄道の路線が描かれていて分かり易い、ありがとう。
    2024年08月20日 23:43
  • gop

    > Cedarさん
    松浦線も乗られていたのですね。門司発佐世保行き夜行のお話し、祖父は門司で一泊しましたが、当時は関門連絡船に接続した夜行もあり、長崎からは上海行きの日華連絡船に接続していた様です。
    https://travel-100years.com/a_199.htm

    Cedarさんが乗られた普通夜行はこのサイトの文中にある「ながさき」でしょうか、80年も走り続けたとは凄いですね。
    2024年08月20日 23:44
  • pogpog

    グランパの戦争〜従軍写真家が遺した1千枚〜
    https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/episode/te/N3N2Z4X618/
    “忌まわしい”過去としても祖父が残したタイムカプセル。家族の戦争体験を調べ、身内の物語として自分との繋がりを知る事は大切。とのこと。
    2024年08月25日 12:17
  • gop

    録画鑑賞済。
    祖父が写した写真の真実を知りたい気持ちは良く分かるし、ある意味負の遺産を良く公開されたと感心した。写真の持つ力を改めて感じた佳作。
    2024年08月25日 16:50
  • ナツパパ

    よく発見なさいましたねえ、すばらしい。
    佐世保が要塞地帯で写真ダメ...今でも世界各地に、
    同じようなところありますものねえ。
    2024年09月05日 10:15
  • gop

    > ナツパパさん
    7年前、ナツパパさんからもコメント頂いていましたね。
    最近は肖像権も騒がれていますから余計気を使わないと>写真ダメ
    2024年09月05日 20:24