
”のぞみ”と”のぞみ”のすれ違い
「熱田神宮の森が見え始めるのを合図に、名古屋で降りる乗客が網棚の荷物をおろし出す(東海道線下り)草薙の剣をまつるといえば復古調めくが、中京お国自慢のタネなのは今も昔も変わりはない。名古屋市を偉大なる田舎と言った人がある。中京と言われるほどでありながら包容力に乏しくて、大資本が外から入って来ないと言うのである。そう聞かされると、そんな感じがしないでもない。日本一の駄菓子屋の街があったり、パチンコ発祥の地だったり、六大都市の中でも一番、いい意味でも悪い意味でも、田舎臭いと言えそうだ。」1954年発行 岩波寫眞文庫「汽車の窓から 東海道」より。
豊橋駅通過、1973年 飯田線ホームから撮影<クリック願います。
駅と電車は随分変わったが、今も名鉄とJR飯田線は豊橋駅から先3.8km区間の線路を共用している。左上は先日22日、上り線(豊橋〜三河安城)で、マルチプルタイタンパーとの衝突事故を起こしたモーターカー(MO-8620)https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000043710.pdf
「東海道の車窓の眺めに大きな変化を与えてくれるものとして、浜名湖は富士山の次に嬉しい存在だ。ウナギとトビウオが名産と言っても、ウナギは本当のウナギだが、トビウオは人間の方である。世界的水泳の名選手を、ウナギと共に養って来た、そういう伝統の湖なのである。遊覧船で一周する楽しいコースがあるが、中でも弁天島は白砂青松で遠浅、海水浴にも潮干狩りにも釣り船にもいい、水辺の保養地になっている。」1954年発行 岩波寫眞文庫「汽車の窓から 東海道」より。
注:フジヤマのトビウオ、古橋廣之進(静岡県浜名郡雄踏町生まれ)
「東海道の汽車の旅で、もし皆の関心の統計が取れるものなら、ナンバーワンはやはり富士山では無いだろうか。富士なんて通俗だ、銭湯の絵だ、と悪口を言う人でも、そうした反骨精神を引っ込めて虚心坦懐に眺める気になれば、やっぱり美しくも懐かしい日本一の山だと思うだろう。まるで定期便の様にしょっちゅう東海道線を行き来する人が、案外全容をくっきりと眺められる機会に恵まれず、一生一度の汽車旅に出た人が、不思議や一点の雲も無く晴れ渡った空にまるで夢かと疑うばかりの麗姿を惜しみなく見せて貰えたりする。」1954年発行 岩波寫眞文庫「汽車の窓から 東海道」より。
以上、iPhoneで撮影した動画を編集。

汽車の窓から 復刻版(2008)撮影:薗部 澄(そのべ きよし)
この記事へのコメント
pogpog
https://www.47news.jp/11255469.html
学校のボロ校舎が。
gop
教室から良く見てた。黄色が来るのが楽しみだった(当時はドクターイエローとは言わない)https://987.blog.ss-blog.jp/2012-11-18
流石に丸々一日足止めは厳しいな。
pogpog
土用の鰻は食べ損ねた。
gop
私もこの本が出るまで知らなかった。鉄道雑誌写真雑誌でも拝見した記憶が無い。2022年 日本カメラ博物館で開催した写真展図録はまだ買える。
https://www.jcii-cameramuseum.jp/item/2022/10/04/32246/
のり
新幹線の不通…、個人的になぜ東海道本線を活用しないのか、誠に不思議です。東京と大阪は在来線で繋がっているのです。深夜には6時間で走る高速貨物電車も走っています。
尤も東海と西日本は犬猿の仲と聞きますので、可能性はほぼゼロだとは思いますが…
Cedar
gop
百閒先生の阿房列車に同行したヒマラヤ山系(平山三郎)さんの本に、昭和33年4月「これからの鉄道(新幹線)を語る」座談会(出席:十河総裁、島技師長、遠藤幹線調査室長)の席で、百閒先生曰く「そんなに早く走っても仕様がないですョ。それより東京・大阪ノンストップ二十時間と言うのはどうです。」とのこと、皆さん話のつぎ穂に困っただろうとありました^^
gop
堀川河口(七里の渡し辺り)は昔から小規模な造船所が多く、私が子供の頃は木材運搬用の小型船が沢山係留されていました。当時の堀川は水質汚染が進み悪臭が酷く、あまり近寄る事はありませんでしたが。
https://www.nagoya-town.info/bunnka/atu~zousen/atu~zousen.html
新幹線、私も名古屋からは(当然)E席を選んでしまいますね^^
pogpog
https://www.meitetsu.co.jp/wind/__icsFiles/afieldfile/2024/07/30/Wind08_mini_compressed.pdf
gop
https://plus.chunichi.co.jp/blog/mizuno/article/233/8778/