三鷹 跨線人道橋「廃止」

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JR中央線 及びJR三鷹車両センターを跨ぐ、高さ 約5m、長さ 93m、幅 3mの跨線人道橋。昭和四年(1929)設置 〜 令和五年(2023)十二月 解体開始。  


太宰治は昭和十四年(1939)九月から亡くなる昭和二十三年(1948)六月まで、疎開の時期を除き三鷹で暮らし「いい所がある」と言っては、この跨線橋に友人や編集者を連れ度々訪れていた由。久しぶり再訪した日は秋晴れ、富士山も良く見えた。

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12月10日閉鎖、15.16日渡り納め(予約者のみ)

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跨線橋の欄干にもたれる太宰治 昭和二十三年(1948)二月二十三日 
撮影:田村茂

晩年の太宰が、仕事場で物憂げな表情で頬杖をつく有名なポートレートは田村によって撮影された。田村は戦後の一時期、東京都三鷹市に住んでおり、同じ三鷹市民であった太宰とは一緒によく飲みに行く間柄だったという。撮影日付は太宰が没する四ヶ月ほど前の昭和23年2月23日で、太宰生前唯一の全集用として、三鷹で27枚の連作写真を撮影した(使用機材はライカDII)撮影コースは玉川上水(3枚)から始まり、跨線橋(5枚)両者行きつけの飲み屋 千草(5枚)再び玉川上水(3枚)三鷹駅近くの踏切前(3枚)古書店(3枚)と続き、最後は愛人 山崎富栄の下宿先、再晩年の太宰の仕事場であった部屋(5枚)となっている。

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