
ちょうど五十年前、1973年9月15日(土曜日)夕闇迫る 亀山機関区



以下、この日の撮影ノートより。
早朝 5:30友人と自宅を出発、近鉄名古屋駅から特急鳥羽行き乗車(6:30発 特急券300円、乗車券は家族乗車証)近鉄伊勢市 7:50着。国鉄参宮線に乗り換えて山田上口へ(キハ17)撮影ポイント 宮川橋梁まで歩き 9時 C58 66牽引 客821レを撮影。山田上口( 9:51発 DD51客車)から伊勢市に戻り、伊勢機関区へ許可を取り入構撮影、機関区の方が「C57は(トラブル続きで)もうあかんよ」と言っていたが、結局ラスト二週間走った。https://987.blog.ss-blog.jp/2005-11-23-4



その後、伊勢観光 参宮線普通 10:45発で二見浦、さらに三重バス(12:53発)乗り内宮へ。同じく三重バスで宇治山田、近鉄乗り換え伊勢市へ戻り、土産に赤福を購入(250円)参宮線普通 15:15発で多気、急行 紀州3号(15:38発 キハ65)乗り換え亀山へ(16:31着)駅前で遅い昼食(カレー200円)機関区でこれらの写真を撮影後、紀州4号に乗車(亀山 18:40発、名古屋 19:42着)名古屋駅ホームできしめんを食べ(100円)帰宅。早速近所のカメラ店でフィルム現像をお願いした由。


C58は昭和十九年(1944)陸軍からの拠出命令を受け、五十両がメートル軌間に改造され、うち二十五両が南方(マライ?)へ送られた(戦後、現存が確認されたのはタイ国鉄の四両のみ、殆どは現地到着前に輸送船が撃沈された)残りの二十五両は戦局悪化で輸送を断念。この66号機はその中の一台で、原型に復元され無事国鉄に復帰した(1974.3.8 廃車)

亀山機関区構内:大規模機関区では良く見られた給炭設備
(背後は鈴鹿山脈)
中央の線路が石炭貨車の留置線、その右に石炭置場、そのまた右に給炭槽、それらを跨ぐ様に ガントリークレーンが配置される(手前に転車台)先ずクレーンを使って石炭を貨車から石炭置場〜石炭置場から給炭槽へ補給。蒸気機関車(炭水車)を給炭槽下へ移動〜給炭口を開ければ石炭が炭水車に落下、給炭されると言う仕組み。これも今や機械遺産。

1973.9.15撮影
この記事へのコメント
ナツパパ
歩く場所にも注意してましたっけ。
当時敵役だったDD51も既にほぼ鬼籍入りですものねえ、うーむ。
pogpog
https://www.nagoyatv.com/tabigome/
名古屋人に衝撃!メ~テレの看板番組 10月1日レギュラー放送終了・・
https://www.nagoyatv.com/tabigome/finish/
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a95ee607a9804041ec56198eee4356aed572a2c
gop
DD51もC58同様、一部南方に行ってしまいました(こちらは無事到着)
https://trafficnews.jp/post/125067
動いた様で何よりですが、継続支援が続いている様で。関係者の方々には本当に頭が下がります。https://readyfor.jp/projects/DD511142
gop
知らなかった・・こちらではJ:comで古いのを放送してる。
https://tvguide.myjcom.jp/program/246368/
ウドちゃんの人柄が出ていて良い番組だった、二十年ご苦労様でした。
pogpog
https://www.instagram.com/reel/Cm4HeLXDKZQ/
gop
のり
急行「かすが」や「大和」などなど…
遠く過ぎ去ってしまった「鉄道の時代」が懐かしいです。
gop
最後の最後、ギリギリセーフで間に合いました。
まだ奈良〜天王寺には蒸気機関車健在、寝台急行「紀伊」もありました。
以下、亀山市歴史博物館の優しい?関西線歴史解説、勉強になります。
http://kameyamarekihaku.jp/02jiyu_kenkyu/zuroku/jiyukenkyu10-corner2.html
pogpog
https://www.youtube.com/watch?v=UhmWW-KbGco
gop