遠州鉄道 ED28 2

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元 豊川鉄道 電機50形 遠州馬込駅にて 1974.6.2
大正十四年(1925)英国 English Electric 製 
約100年前の貴重な凸型デッカー、今も車籍は残るが休車中。

新浜松駅から西鹿島駅まで17.8kmを走る遠州鉄道、今年で創業八十年。今でこそJR浜松駅横の立派な高架駅から12分毎に電車が走る近代化された都市型鉄道だが・・

地上時代の遠鉄は 新浜松駅から隣の遠州馬込駅まで東海道線と並行、遠州馬込駅でスイッチバックし北上する特殊な線形で(以下地図参照)線路横には広大な貨物ヤードがあり、頻繁に国鉄との相互入れ替え作業を行っていた。が、東海道線高架化による国鉄側の客貨分離(貨物輸送減少)に伴い 1976年3月31日 遠鉄の貨物営業は強制終了する事になる。

1980年末 遠鉄も市街地高架化に着手、旧新浜松遠州馬込遠州浜松信号場 の旧ルート(スイッチバック地上区間)を廃止し、1985年12月1日 新浜松~助信間 新ルート2.7kmの高架化が完成。ヤード跡は 1994年 高層ビルを含む複合施設 アクトシティとなった。

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上左:遠州馬込駅で入れ替え中のED28 2 
上右:馬込付近スイッチバック線を行く30形 下左:旧ルート
:旧新浜松 :遠州馬込)
下右:新ルート 高架線(黒:新浜松)

四百五十年前、伊賀越えと並んで徳川家康 人生最大の危機と言われる武田軍との一連の戦いは遠州鉄道周辺が合戦の場。地図で見ると分かりやすい。

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合戦は1>2>3の順に行われ、
圧倒的兵力の差に家康は浜松城へと逃げ帰る。

1. 一言坂の戦い 元亀三年(1572年)10月13日
2. 二俣城の戦い 元亀三年(1572年)10月16日〜12月19日
3. 三方ヶ原の戦い 元亀三年12月22日(1573年1月25日)

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隣の遠州馬込駅ホームには西鹿島行き30形「赤電」が停車中。 1974.6.2

遠州鉄道 八十年の歩み https://80th.entetsu.co.jp

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