
金山橋駅にて 3400形 日本車輌製造(株)本店製 1976.6.3撮影
1935年(昭和十年) 8月1日: 愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併、名古屋鉄道(現)が発足する。1937年(昭和十二年)3月20日:東部線用に流線型電車 3400形 営業運転を開始。

1936年(昭和十一年)6月「車輌製作ノ件伺」
3400形(850形)社内決済書
東部線(旧愛電)用として「流線型 連接車」三列車(二両編成 計六両 23万9700円)西部線(旧名岐)用として附随客車(六両 4万9400円)を新造、東部線用は来春(昭和十二年三月)名古屋市内で開催予定の汎太平洋平和博覧会に間に合わせる旨稟議。但し、連接車に関しては「相当ご調査の上 ご決定願いたし」との書き込みもあり(右ページ欄外、結果 連接車は却下)名鉄資料館にて。


金山橋駅にて 筆文字の駅名標が懐かしい。後ろに見える跨線橋(幅 6m)は、地上駅時代の堀田駅発生品を利用して建設、渡り踏切りを撤去したとのこと。 1976.6.3撮影
上:800形(モ802+ク2312)1935年(昭和十年)4月 日車製、名岐鉄道 最後の新製車。下:3550形(モ3552+ク2552)1944年(昭和十九年)日車製、合併後の戦時設計車。
1944年(昭和十九年)9月1日:金山駅開業。東部線(旧愛電)西部線(旧名岐)が金山駅で接続、東西連絡線(新名古屋〜神宮前)の営業が開始された。但し東部線は1500V、西部線は 600Vだったため、金山駅が電圧の境界で 東西両路線への乗換え駅となっていた(翌年7月 金山橋駅に改称)
1948年(昭和二十三年)5月16日:西部線の主要路線を東部線と同じ1500Vへ昇圧、東西路線の直通運転を開始。金山橋駅での乗換えは不要となり、全ての列車が停車する中間駅となる。
1989年(平成元年)7月9日:金山総合駅完成、現在地に移転。金山駅に改称、金山橋駅廃止。
以下、東西連絡線 開通七十周年記念切符(2014.9.1)


現在の金山駅にて パノラマSuper 1988年(昭和六十三年)日車製

3400形 運轉室断面
1936年(昭和十一年)9月30日 日本車輌製造株式會社
金山総合駅 昭和21年 計画立案(近鉄乗入れ案もあり)
この記事へのコメント
pogpog
あの日々から半世紀、金山橋ホームに緑のボロ電車も懐かしいが。戦後までただの乗換駅だったとは知らなかった。
gop
線路横の道沿いに市邨学園女子高校があった頃(熱田区六野)親父が新車を買った時に電車と競争、100km/h出したのを覚えてる。そんな時代。
gop
リンクさせて頂いているお住いの方。https://hadley.exblog.jp
ナツパパ
わたしにはこういう風景の方がしっくりくるなあ。
そういえば、名鉄は今の色になるまで、ずいぶん車体に色変えましたね。
gop
全赤になるまで、試験色のパープル含めて六種類ですね。
http://www.ipc-tokai.or.jp/~gsr/train/info/color_info.html
以降、基本赤白・赤白ステンで塗分けパターンが増えたって感じでしょうか(空港特急ミュースカイは青白)戦後のツートンは見てみたかった。
Cedar
gop
中央線しか無かった頃が懐かしいです。
これで愛電三部作終了、お付き合い頂き有難う御座いました。
pogpog
のり
名古屋急行電鉄ができていたら…
ものすごい総合ターミナルになっていたかもしれませんね。
gop
何回も学校名と場所が変わり良くわからない。今は名古屋経済大学?
https://ichimura.ac.jp/history2/index.html
以下、歴代市邨高校の制服参照、写真の二人組は違うと思う(大谷か)
https://archive.ichimura.ed.jp/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%9123%E3%80%80%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%83%BB%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E5%B8%82%E9%82%A8%E5%88%B6%E6%9C%8D%E5%B1%95%E7%A4%BA%E7%AD%89/
gop
名古屋急行は1928年6月 免許出願、1935年7月 延期申請却下 免許返上。出来ていれば金山〜神宮前で P-6と 3400系が並ぶ姿が見られたのかも。
名古屋急行も夢物語でしたが、近鉄の金山乗り入れ(近鉄戸田〜地下鉄金山)も結局お蔵入り。戦前戦後は計画路線だけは沢山ありましたね。
gop
この時期、名鉄のクリーム+赤帯色は豊橋鉄道も同じだった。