電気車 ナゴヤ號(1939)

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電気自動車黎明期「電車製造から電気自動車製造へ」

明治二十九年(1896)日本車輌製造 設立:愛知郡古沢町大字東熱田(現 熱田区三本松)

明治三十五年(1902)日本車輌製造:鉄道車両に加え、バス車体を製造開始

明治四十五年(1912)名古屋電車製作所 設立:名古屋市南区西築港(現 港区港陽町)

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昭和二年(1927)日本車輌製造(以下日本車輌):名古屋電車製作所を子会社化

昭和四年(1929)名古屋電車製作所:名古屋自動車製作所へ改称、バス車体製造開始

昭和五年(1930)日本車輌「アツタ號」開発開始  http://route23.jp/2019/01/06/n-syaryo/ 

名古屋市内のメーカー四〜五社が参加、国産初の本格的乗用車開発に向け「中京デトロイト化構想」を計画(1. 日本車輌:車体、バンパー制作、内部艤装、総組立および販売 2. 大隈鉄工所:エンジン 3. 愛知時計電機:計器類、電装品 4. 岡本自転車自動車:シャーシー、トランスミッション、差動装置、ラジエター、ステアリング 5. エンジン鋳物:豊田式織機)注:豊田式織機は後のトヨタ自動車に繋がる。

昭和七年(1932)三月 アツタ號 試作車二台が完成(水冷8気筒、3.94L、85馬力)

昭和十年(1935)アツタ號 日本車輌にて販売開始、価格7,500円

昭和十三年(1938)戦争拡大、石油需要増大 アツタ號 生産中止(総生産台数 約三十台)

昭和十四年(1939)石油統制開始、自動車用ガソリンへのアルコール混入実施     

日本車輌:自動車製作を名古屋自動車製作所に全面委譲

名古屋自動車製作所:電気自動車「ナゴヤ號」発売 2.75- 3馬力(40V 171A/h)

全長2.76m x 全幅1.2m x 全高1.78m 車重1.0t   最高速度 35km/h、走行距離 80km  

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ボディは三人乗りセダン、一人乗りトラック、パネルバンの三タイプ、グリルレスでボディと一体化したヘッドランプ・フェンダーは、後のフィアットムルティプラ(1956)にも似る、当時としては個性的なデザイン(1942年からの後期型は3.5馬力に向上、ボンネット付き2ボックスとなる:上写真右下)

昭和十五年(1940)一月 名古屋自動車製作所:名古屋電気自動車販売(株)設立

昭和十六年(1941)ガソリン供給禁止、代用燃料(石炭、木炭、天然ガス等)に変換 

ナゴヤ号は石油統制下好評を博し、オリジナルブランドとしてかなり普及した。当社と名古屋自動車製作所は経営面でも技術面でも密接な関係を終戦に至るまで持続していたが、昭和二十年の空襲により工場は全壊した(ex.昭和十四年〜二十年:国産小型電気自動車の総生産数 約1,000台:日本車輌社史 八十年の歩み より) 

昭和二十年(1945)名古屋自動車製作所:空襲により工場全壊 ナゴヤ號 生産終了

昭和三十年(1955)名古屋自動車製作所:名自車体株式会社に社名変更、特種車両、医療車、郵便車の製造を開始(弥富に現存)https://www.meijibody.co.jp/company/

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昭和初期の地図 赤丸が名古屋電車製作所(名古屋港上)青丸が日本車輌(熱田神宮右横)

以下参考(PDF)

この記事へのコメント

  • pogpog

    アツタ号は有名だがナゴヤ号は初見。知らなかった。
    鉄道屋が作った自動車、初代バモスホンダ、二代目ダイハツミゼットにも通じる軽規格で再現すれば今も通用しそうなデザイン。
    港陽町は築地口あたりか、確かに熱田同様空襲が酷かった地域、残念。
    2023年02月11日 07:18
  • ナツパパ

    電気自動車なんですね、この時期にすばらしい。
    セダンの丸まっちい姿もいいなあ、これ好きです。
    ただ、大柄なわたしは乗ることが出来るのか?
    2023年02月11日 10:19
  • 芝浦鉄親父

    「ナゴヤ號」セダンのデザイン、好ましいです。
    充電はどのようにしていたのか、興味深いものがあります。
    2023年02月11日 10:47
  • gop

    > ナツパパさん
    当時は石油統制下、対して電力は空襲で多くの工場が被災し過剰気味。電気自動車市場には多くのメーカーが参入、デザインも黎明期らしく様々です。
    http://csih.sakura.ne.jp/panerutenn/panerutenn2017_p1_4.pdf

    > 大柄な私:三人乗りセダンの前席(ドライバーのみ)を外して、リアシートを前に出して乗れば楽勝と思いますよ^^
    2023年02月11日 12:55
  • gop

    > 芝浦鉄親父さま
    いらっしゃいませ、コメント有難うございます。
    充電方法は現代と同じ様ですね、充電コネクタも標準化されていた様です(記事下 PDF「戦前の国産電気自動車」最終ページ参照)ただ充電ステーションは無いので、基本自宅で充電していたのでしょう。当初乗合バスから普及したため、バス用の充電ステーションは各都市幾つかあった様ですが。
    2023年02月11日 12:56
  • Cedar

    名古屋電車というと、地元名鉄のほか、なぜか玉電の木造単車なんかも造っている電車メーカーとは知ってましたが、自動車やに転身しちゃうとはさすが名古屋ですね。なごや號~今の残ってたらマニアに狙われそうです。
    2023年02月11日 23:26
  • gop

    > Cedarさん
    前から気にはなっていたので簡単に纏めてみました。
    総生産台数は恐らく100台前後でしょう。検索しても実車は出て来ず、残っていたと言う話も今の所聞かないです。有ればお宝、なのかな?

    この電気自動車ブームで、飛行機屋から派生した車が良くマスコミに取り上げられていますが、ナゴヤ号と比べるとパッとしないデザインですね。
    https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17088570
    http://www.npo-rjc.jp/forum/detail.php?No=22
    2023年02月12日 09:54
  • pogpog

    最初の写真は。学校か?
    2023年02月13日 07:00
  • gop

    > 校舎の写真
    ヤフオクで出てた。後期型なので昭和十七年(1942)以降。
    画像検索すると昭和四年築(1929)東京都中央区日本橋本石町、常盤小学校(現存、日本橋至近)なのでナゴヤ号は東京でも販売していたと思われる。

    校舎は鉄筋コンクリート造り三階建て、関東大震災復興事業として都内で52校建てられた耐震耐火構造の復興小学校の一つ。東京都選定歴史的建造物。
    https://www.chuo-tky.ed.jp/~tokiwa-es/
    2023年02月13日 18:28
  • gop

    > 補足
    写真細部を見ると前期型はボディタイプによって形状が微妙に異なる。
    側面写真と斜め45度写真を比べてみると、セダンはほぼ同形状だが・・

    トラック:キャビン形状が全く異なる(ドア形状、Fウインドウ角度)
    パネルバン:セダン・トラックとはフロントフード形状が全く異なる(EF55風)ヘッドライトは別体(バモス風)フェンダー形状も異なる。

    前期型は全く異なる三種類のボディ全てを生産したのか?当時はほぼ手造りと思われるので出来ない話では無いが、生産性は悪い。路上で写した写真も存在しないため疑問は残る(側面写真はレタッチしている様にも見える)
    2023年02月16日 18:24
  • pogpog

    ここに工場の位置情報。ただし戦後の写真(1949)
    https://togetter.com/li/721669?page=8
    絵葉書(戦前)俯瞰図を見ると工場敷地は細長い。堀川から運河を引き込んだ貯木場のあたりか。
    2023年02月19日 11:28