国鉄 80系電車(1950) 2022年08月31日 中央西線 中津川発 松本行き 中央西線の80系は1973年全線電化後入線、主に中津川〜松本の普通列車に使われていた。木製ニス塗りの座席 窓枠 壁面、文字通りの網棚、扇風機に蛍光灯、座席下ヒーター・・と、昭和の香り満載。この七ヶ月後 1980.3.20 中央西線から引退(1983年 全車引退)国鉄80系電車https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%8480%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A 1979.8.20撮影
gop > 1979年車も三角窓(有れば)を開ければ何とかなった時代。既に振り子特急「しなの」も走っていたし、何故この電車を使ったのかは謎(お金なかった?)東海道線80形はこの前年に引退してた(以下一番下)https://987.blog.ss-blog.jp/2022-06-11
gop > ボロ3400形がモダンなせいか外見で車齢の差は感じない。80系は基本中距離用(通勤兼用)だったので、既存旧型客車の室内デザインを踏襲したらしい。以下MT54Bさんの模範回答参照、確かに灰皿もあった。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11259988661
のり 80系電車は、スカの70系同様その後程なく「新性能電車」が登場しましたので、その後の運命が少しばかり可哀想でしたね。長編成の旧型客車をそのまま電車にしただけのような印象を持たれてしまいました。応接間のソファーのようなサハ(クハ)85の座り心地は絶品でした。革新的な2次車の正面スタイルはその後各社に急速に広まりましたね。私は都落ちして赤穂線を走る80系に乗りました。
gop > のりさん一次形で終わっていたらさらに短命だったかも知れませんね。内装は別として時代の定番となった外装デザイン(シンプル ローコスト モダン)を確立した島 星両氏の功績大、何故二次形が保存されなかったのか不思議です。
風旅記 こんばんは。長い距離を走る普通列車の車内、気怠さがあり、共に過ごす楽しみがあり、雰囲気が伝わってきまして、お写真を楽しく拝見させて頂きました。今は寝ている人も減って、殆どの人がスマホを見ているように感じます。コロナ禍で列車の窓が少し開けられていた時期もありましたが、走る列車で風を浴びて過ごしたあの頃の感覚とはあまりにも違うものでした。時代が変わり、人の時間の過ごし方が全く変わったのだと改めて気付かされました。
gop > 風旅記さん遅ればせながら本年も宜しくお願い致します。半世紀前、学生は鈍行を乗り継ぐ貧乏旅行が当たり前でした。クーラーも無く、夏は窓を開けるのが普通、それでも大汗かいて寝ていたものです。今は普通車でもこんな窮屈なボックス席にはお目にかかれませんが、友人達と肩触れ合って時間に追われない旅は学生の特権だったのかも知れません。
この記事へのコメント
pogpog
夏休みでほぼ満席。この頃は涼しかったか。
gop
車も三角窓(有れば)を開ければ何とかなった時代。
既に振り子特急「しなの」も走っていたし、何故この電車を使ったのかは謎(お金なかった?)東海道線80形はこの前年に引退してた(以下一番下)
https://987.blog.ss-blog.jp/2022-06-11
pogpog
戦後生まれとは意外。
gop
3400形がモダンなせいか外見で車齢の差は感じない。80系は基本中距離用(通勤兼用)だったので、既存旧型客車の室内デザインを踏襲したらしい。以下MT54Bさんの模範回答参照、確かに灰皿もあった。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11259988661
のり
長編成の旧型客車をそのまま電車にしただけのような印象を持たれてしまいました。
応接間のソファーのようなサハ(クハ)85の座り心地は絶品でした。
革新的な2次車の正面スタイルはその後各社に急速に広まりましたね。
私は都落ちして赤穂線を走る80系に乗りました。
gop
一次形で終わっていたらさらに短命だったかも知れませんね。内装は別として時代の定番となった外装デザイン(シンプル ローコスト モダン)を確立した島 星両氏の功績大、何故二次形が保存されなかったのか不思議です。
ナツパパ
車内が木製な様子が多用懐かしいなあ。
長距離列車の車内の倦怠感が...そうでしたねえ。
gop
中央線では急行「天竜1号」上諏訪発 長野行きにも使われてました。
流石に急行の80系に乗った記憶はありませんが、若い頃は何処ででも寝れましたからね。狭いボックス席が懐かしい。
風旅記
長い距離を走る普通列車の車内、気怠さがあり、共に過ごす楽しみがあり、雰囲気が伝わってきまして、お写真を楽しく拝見させて頂きました。
今は寝ている人も減って、殆どの人がスマホを見ているように感じます。
コロナ禍で列車の窓が少し開けられていた時期もありましたが、走る列車で風を浴びて過ごしたあの頃の感覚とはあまりにも違うものでした。
時代が変わり、人の時間の過ごし方が全く変わったのだと改めて気付かされました。
gop
遅ればせながら本年も宜しくお願い致します。
半世紀前、学生は鈍行を乗り継ぐ貧乏旅行が当たり前でした。クーラーも無く、夏は窓を開けるのが普通、それでも大汗かいて寝ていたものです。今は普通車でもこんな窮屈なボックス席にはお目にかかれませんが、友人達と肩触れ合って時間に追われない旅は学生の特権だったのかも知れません。