
ク2325車内 元愛知電気鉄道 電7形デハ3086 大正十五年(1926)三月製造(大正天皇は大正15年12月25日崩御、同日から31日まで僅か一週間が昭和元年、1927年は昭和二年)おばさんの唐草模様の風呂敷、東京ぼん太も懐かしい
半世紀近く前、とある日の名鉄揖斐線(2005年4月1日 全線廃止)



上:ク2151車内 元旧名古屋鉄道デセホ750形モ756を電装解除した車両(1928.11製造)運転席天井・座席の袖仕切り板など、曲面を多用した大正ロマン風の内装が美しい、子供連れのお母さんと学生の風体が如何にも昭和 場所はたぶん忠節駅(始発 発車前)
下:この日 2151のペアは同じく750形モ755(1928.11製造)乗降客が数名、ちょうど下校時刻か小学生の女の子とお爺さん 真桑(まくわ)駅にて 以上 1974.4.4 木曜日撮影

モ704 デセホ750と同じグループ、 元旧名古屋鉄道デセホ700 昭和二年(1927.4)製造+ク2327 元愛知電気鉄道 電7形の制御車 附3形サハ2020 大正十五年(1926.3)製造
ちなみに昭和二年(1927)十一月、昭和天皇の陸軍特別大演習視察(犬山地区)において、民営鉄道として初めてのお召し列車にデセホ706.707が使用された由(+御料車トク3号)旦ノ島(だんのしま)駅 〜 尻毛(しっけ)駅間にて 1977.8.5 金曜日撮影
以下、北陸鉄道に譲渡されたモ700形




北陸鉄道 モハ3700形3703(元モ708)
石川総線 西金沢駅 1980.1.3撮影
1964年(昭和三十九年)モ700形707-710の4両を改造、モハ3701-3704に改番。窓枠Hゴム化 貫通扉追加でモ700とは思えない面構えとなる。1980年休車、1987年解体された。本家では1998年まで生き延びたと言うのに・・この他モ700は同時期 福井鉄道へも譲渡。
名古屋鉄道 デセホ700(〜1998年)デセホ750(〜2001年)
福井鉄道 モハ140(名鉄モ701.702)〜1979年
生まれは同じでも電車の一生は様々・・
この記事へのコメント
ナツパパ
なぜ岐阜の市内線や揖斐線谷汲線を廃止しなければならなかったのか。
やり方によっては便利な輸送機関になれたのに、と思います。
名鉄、やる気なかったですものねえ。
gop
何時も早々にコメント頂き有難うございます。
客居ない、お金無い、道狭い、車多い・・行き着く所やる気無い。
二十一世紀に入って、こんな電車が走っていた事自体奇跡でしたが。
のり
私はだった一度きりの訪問でした。
昭和55年7月13日、新岐阜駅前から直通急行で黒野へ行き、駅で一頻り撮影したあと谷汲して帰ったようです。残念ながら谷汲線の記憶が全くなくて、谷汲駅で買った切符が手元に残るのみ…。
もう再訪が叶わぬ今、もっともっと訪問できたはずだったことが心残りでなりません。
pogpog
豊橋鉄道 1939年名鉄傘下 52.35%保有
北恵那鉄道 1958年名鉄傘下>1978年廃線>バス化
尾小屋鉄道 1962年名鉄傘下>1977年廃線>バス化
北陸鉄道 1962年名鉄傘下 13.97%保有
福井鉄道 1964年名鉄傘下>2008年離脱
東濃鉄道 1971年名鉄傘下>1978年廃線>バス化
gop
名古屋から黒野〜谷汲まで、結構な時間が掛かりましたからね。
最後の夏、行こうと思ったのですが、あまりの暑さに断念しました。
クーラーなしの長時間乗車は・・
gop
大井川鐵道 1969年名鉄傘下>2015年離脱>エクリプス日高グループへ
https://bunshun.jp/articles/-/44582?page=3
大井川、昔は名鉄3800形が走ってた、以下クラウス右隣。
https://987.blog.ss-blog.jp/2005-12-03-1