
都電荒川線 国鉄大塚駅ガード下停留場
まだツーマン(運転手+車掌)の頃



旧車体 7000系(1956)
翌年1978.3 アルナ新型車体に載換え 大塚〜向原



山手線 常磐線 103系(1964)東京機関区 EF15 105(1954)



小田急NSE 3100系(1963)西武レッドアロー 5000系(1969) 国鉄クモハ73(1953)但し1977年当時、既に72系は新宿駅には乗り入れておらず、青梅線回送の車両か?その青梅線の旧型国電も翌年3月で引退 https://987.blog.ss-blog.jp/2006-08-05-1



東京駅 19:25発 寝台特急20系 瀬戸(1958)
同年1977.9.26より24系に切り替え
中央左に東京タワーが見える(1958)右手前のビルは東京ビルヂング(1950)2005年に東京ビルTOKIAに建て替え(地上33階、地下4階) 1977.8.20-22撮影
この記事へのコメント
のり
その前年から国鉄での通学が始まり、たまに乗る私鉄との「色々な違い」が目立ってきました。
そろそろ国鉄が趣味対象から外れ始める頃です。
先日、法隆寺を訪問するためにずいぶん久しぶりに「奈良→法隆寺」「法隆寺→天王寺」と大和路線を利用しましたが、2本とも霞がかかったように窓が汚れた221系でした。家内も「なんか薄汚れた電車やなぁ」と言ってました。
奈良まで乗った近鉄電車との違いに「やっぱりなぁ…」と感じました。
ナツパパ
この頃にはまだエアコンはついてなかったんでしたねえ。
夏は窓全開で、走っているときはよかったのだけれど...
いまこういう車両でしたら、利用者も不満全開でしょう。
思えばずいぶん贅沢になりました、自分自身も。
pogpog
gillman
gop
この五年間でSL全廃、新型ブルトレ登場。首都圏旧型車は新型車へ置き換え、あぶれた旧型車は地方へ転属。表通りは綺麗で華やか、裏通りは薄汚れてカビ臭いと言う負のスパイラル、大手私鉄と比べるのは流石に酷かも知れませんね。裏通りは好きで良く通ったので、あまり文句は言えませんけど^^
gop
夏は窓開けるのが普通でしたね。1977年首都圏通勤電車の冷房化率は国鉄27%(東海道線92% 横須賀線85% 山手線39% 中央線21%)大手私鉄7社29.3%(京王49.4% 小田急44.6%)十年後、国鉄81% 大手私鉄77%まで上昇(但し地下鉄だけは0%・・)まさか又、窓を開けて走る時代が来るとは思いもしませんでしたが。
gop
起源はSLブームに遡ることが出来る。若き日の篠山紀信が、ジャーナリズムと一線を画する存在「スケベ小僧」という意味でつけたもの。のち赤塚不二夫によって篠山をモデルとしたキャラ「カメラ小僧」が誕生(懐かしい)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13973493.html
プロ?が増えた結果、写真で食えなくなった人も沢山居たのでは。
gop
当時の名称案「民電」「首都電」「東鉄」「日電」「民鉄」「東電」・・
中止と言う選択肢は無かったのか(笑)荒川線は今も良い雰囲気ですね。
pogpog
カメラ小僧の中ではS先輩が上手かったが、一浪して早稲田(バカ田に非ず)結局プロにはならなかったな。道は険しい。
gop
GORO 激写(山口百恵)が1975年〜 週刊朝日 女子大生(宮崎美子)が1980年〜、激写より前なのは確かに意外。赤塚不二夫の先見の明?
SさんはFBでお見かけします、Iさんもお元気そう。カメラ親父は健在。
sugimecha
ウェブログってgopさんのために誕生したのかなって。
gop
皆さんF.B.やTwitterに行っちゃいましたからね。続けている人は貴重かも。
そう言うsugimechaさんはF.B.Twitterやっていないんですか。
sugimecha
gop
確かに慌ただしい面もある。私も殆ど見るだけです。