
四十五年前、上野発夜行列車が四十五本あった頃。



5番線 19:20発 普通高崎行 入線待ち

6番線 19:34発 あさま8号(長野行)
7番線 19:38発 とき13号(新潟行)

8番線 吾妻線 白根 19:30着

20番線 20:10発 十和田1号
17番線 20:00発 583系 ゆうづる2号(青森行)



20番線 23:05発 ゆうづる7号
19番線 23:00発 ゆうづる6号(共に青森行)
四十五年間、変わらないもの https://tjk.jp/mh/guide/uniform_song/
この記事へのコメント
ナツパパ
青森まで8時間、着くと連絡船が待っていて、ホームを猛ダッシュで...
いまとなっては懐かしいけれど、時間がかかりましたねえ。
583系は下段寝台が取れるとラッキーだったんだけど。
gop
20系も24系も寝れませんでしたが(揺れと興奮もあり)583系は寝ても座ってもダメでした・・青森は遠かったですね。
のり
「ホームの時計を見つめていたら母の笑顔になってきた…」
就職列車に揺られてここにやってきた人たちにとって、ここは特別な場所だったのでしょうね。
過日図書館で閲覧した昭和30年の時刻表では、上野・青森間の普通列車が5本設定されていたようです。そのうちの一本は常磐線経由で、一本が奥羽本線経由というものでした。
昭和42年10月号でも上野・青森間の普通列車が東北本線と常磐線、そして奥羽本線の経由でそれぞれ一本ずつ計3本が設定されています。
gop
昭和30年は蒸気機関車牽引の急行のみ、特急はつかりが昭和33年10月から(昭和35年12月〜キハ81)昭和42年10月でも客車急行が殆ど。
https://www.youtube.com/watch?v=QLkKCO8MEf0
津軽海峡・冬景色がこの写真を撮った昭和52年1月1日発売ですから。新幹線開業前の東北は未だそんなイメージでした、実際遠かったです。ちなみに井沢八郎さんの「ああ上野駅」は昭和39年5月発売だそうです。
gop
https://www.asahi.com/articles/ASQ8M3VQLQ8LUCVL041.html
pogpog
http://keimeigakkan-h.ed.jp/uniform