1974 木曽森林鉄道

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C型客車 みやま号 
長野営林局管 上松運輸営林署にて 1974.9.16 / 11.4

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明治以前、日本の木材輸送の中心は河川を利用した流送(川狩)だったが、明治の中頃から森林鉄道が開発され、蒸気機関車が山間を走る様になった。木曽森林鉄道の蒸気機関車は計十両、大正五年(1916)からディーゼル機関車に置き換わる昭和三十五年(1960)まで、木曽谷の木材・人・資材・食糧などを輸送、沿線住民の足として活躍した。

国鉄上松駅西側に隣接した広大な段丘上にヤードと貯木場があり、客車や貨物車が留置(有名な理髪車もあり)ボールドウィン一号機は廃車後も車庫内で保管され、お願いすれば見学する事が出来た。大滝本線に一般客が乗車出来たのは1974.10まで(みやま号 上松から終点の本谷まで 48,1km、所要時間三時間)この翌年1975.5.30が森林鉄道の運行最終日、ボールドウィンにも火が入り本線を走った(ただし自走出来ずDL補機付き)が、この日は平日で学校が(悔)・・三十二年後再訪し乗車 https://987.blog.ss-blog.jp/2006-08-21-2 

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米国ボールドウィン社製 6-10-1/3-C型 タンク式蒸気機関車(1915) 

大正五年(1916)小川線開通時に導入された蒸気機関車一号機、本来のビルダーズプレートは大戦中に外され、現在付いているのは最後に輸入された十号機(JUNE.1929)のもの、この一号機関車の製造番号は41997(APR.1915)

購入年月:大正四年五月 価格:8,274円(現在の2,500万円位)総重量:9.8トン 蒸気圧:10.5kg/cm2 平均速度:15km/h 牽引力:貨車二十両(木材約110m3 平均値)

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メーカーカタログ 
上から二番目に相当、軌間は 2feet 6inch(762mm) 

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赤沢自然休養林にて保存中の客車 

この記事へのコメント

  • のり

    NHK「新日本紀行」を思い出します。

    少し調べてみましたところ、「木曽森林鉄道」は1973年1月29日の放送だったそうです。
    「幸福への旅」「ある廃線」などなど…「鉄道」を取り上げることがよくあった番組でしたが、この回はとりわけ印象が強く、画像でもご紹介されている「理髪車」の紹介映像がとくに脳裏に残っています。

    森林鉄道は日本全国にあり、なかでも高知の簗瀬は規模が大きかったそうですね。
    2022年04月09日 12:15
  • gop

    > みやま
    多分【深山】 人里から遠く離れた山。奥深い山。奥山。 [訳] 人里から遠く離れた山。文部省選定「ひのきの里を去る林鉄」名古屋城〜堀川〜白鳥貯木場も出てくる。https://www.youtube.com/watch?v=5sd1yzeJ6Es
    2022年04月09日 22:14
  • gop

    > 尾張藩
    ひのき一本 首ひとつ、枝一本 腕一本:許可なく木曽の山から檜を伐採した者は斬首、枝を一本切り落とした者は腕を切り落とすと言う、庶民の伐採を御禁制とした法律、実際斬首刑になった者もいるそうな。
    https://www2.hp-ez.com/hp/bunsei/page9/38
    2022年04月10日 10:38
  • sugimecha

    お~、上松といえば御嶽海!(^^;
    2022年04月15日 20:25
  • ナツパパ

    懐かしい木曾森林鉄道!
    廃止直前に、奥の滝越部落に通いましたっけ。
    廃止前にはそれなりに盛り上がっていましたが、今に比べると静かなものでしたっけ。
    2022年04月19日 09:47
  • gop

    > ナツパパさん
    それは初耳の様な、随分奥まで行かれていたのですね。滝越は土砂崩れや御嶽山噴火で今も大変なのではないでしょうか。写真拝見させてください。
    2022年04月19日 18:17