
機関庫出庫 1974.11.4
木曽の桟(かけはし)と、森林鉄道で有名な上松駅での入換え作業開始





この日は上松での蒸気機関車入換え運用の最終日前日、機関士さん(機関助士さん)ご家族が可愛い娘さんを連れてお別れの記念撮影、しかし今やこの子も五十過ぎ・・

翌年1975.2.5をもってC56 124は車検切れ、次の入換用蒸気機関車は配属されず中央西線の完全無煙化が完了、合わせて現役C56型はこれが最後の一台、形式消滅となった。



SLを存続せよ・・木曽福島機関区にて
1974.3.21 七尾線でのC56 124 https://987.blog.ss-blog.jp/2006-09-19
この記事へのコメント
pogpog
https://tabelog.com/nagano/A2007/A200702/20001856/
gop
ここで食べれるみたい。
https://www.satofull.jp/products/detail.php?product_id=1016776
ドライブイン閉店は時代の流れ、良く利用したここも無くなった。
https://nindora.com
pogpog
ナツパパ
ただ、C56を入れ替え作業に使うんですねえ。
もう他に残ってなかったのですね...無煙化は仕方なかったと思います。
gop
当時国鉄経営は末期的状況で合理化は必然、ただあぶれた蒸気機関車関係者は広域配置転換で大変な苦労があったとは思う。写真の機関士、機関助士の方も未だ若い(多分三十代)さてどうされたのか・・
gop
何処の業界も技術転換期は致し方ないですね。この一年前まで本線を蒸気機関車走ってました(D51貨物)無理矢理一年伸ばしたのは木曽国労の意地?
のり
いろいろな写真を眺めながら、京都市電廃止を思い浮かべました。
先日、図書館で昭和30年8月の時刻表を閲覧しました。東海道本線米原電化完成によるダイヤ改正だそうです。
過日購入した昭和42年10月号復刻版もすごかったのですが、それ以上に目を見張るものばかりでした。
おそらく電化区間以外の牽引機のほとんどが蒸気機関車だったはずです。
30時間以上を要する長距離普通列車がたくさん…
鹿児島23:30発の東京行急行「筑紫」、東京着が2日後の朝というのが驚きでした。
gop
百閒先生も急行筑紫に乗られてましたね。筑紫には食堂車が無く、お燗用に三越で魔法瓶を買う話が面白かった。戦後電化完了までの東海道線は名古屋で機関車交換をしていた様ですが、中央西線も電化工事が終わり、架線が張られた下を走る蒸気機関車は何か場違いに感じられたものです。
のり
大阪メトロの駅リニューアル工事の新しい概要が発表されています。
デザインが大きく変更され、当初発表のものよりかなりよくなっています。
淀屋橋では、現行の灯具がそのまま用いられる可能性もありそうです。
https://subway.osakametro.co.jp/news/news_release/20220407_station_renewal.php?_ga=2.248691778.431935969.1649393751-1904453647.1649393751
gop
各駅オリジナリティのあるシンプルモダンなデザインで、随分良くなりましたね。ロケット型シャンデリアも歴史遺産として保存される様で何よりです。ところで、このシャンデリアを設計された元大光電気の中尾晋也氏ですが https://987.blog.ss-blog.jp/2020-09-21 何と知人の元上司で、曰くかなりのバスマニア(検索すると日本バス友の会、関西支部長)バス趣味が会社にバレて、観光バスのシャンデリアも多く担当されているとか。
加えて大阪〜中央西線ネタを一つ。1974年当時 大阪〜長野間を走っていた客車急行「ちくま」この名前てっきり千曲川のちくまとばかり思っていたら、かつて存在した筑摩県(現在の長野県中信、南信、岐阜県飛騨地方)から来ているのだそうな(知らなかった)明日は森林鉄道です。