
中部地区で最後まで残った現役蒸気機関車、春闘の垂れ幕も懐かしい
1974.3.28



三月終盤と言うのに思いがけぬ雪景色
上:EF64 3 急行ちくま? 下:381系 特急しなの


天気は快晴、午前中は構内で入換え作業、背景は木曽の山々と宿場町


午後からは上松駅まで、単機で一区間一往復の入換え仕業
三ヶ月前、1973年の年末はC12 69



この二日後も行ったらしい EF64 1と 上松駅にて 1974.3.30
そして二ヶ月後の六月初旬 C12 230は休車となり、変わって七尾機関区からC56 124が転属、十一月初旬まで運用され、これが中部地区最後の現役蒸気機関車となる(末期の木曽福島機関区は春闘スト権ストで合理化反対、蒸気存続を掲げており、使用中の蒸気機関車が検切れ休車となる度に、無煙化で不要となった検付き蒸気機関車を導入していた)
一週間前1974.3.21 七尾線 C56
この記事へのコメント
pogpog
gillman
gop
この頃は機関車や電車の車体にも色々書いてあった。撮影する側は確かにガッカリだったが、今見返すとこれも昭和の記録。
https://www.torizuka.club/2018/03/04/記憶の残照-2/
gop
木曽路はすべて山の中・・半世紀後も繁盛している老舗蕎麦屋に寄ってから帰るのがお定まりでした。
のり
以来何度か通りましたが、本当に「通過」だけです。
「新日本紀行」で木曽森林鉄道が取り上げられていたことがありました。山深いところで仕事をする人たちのために散髪列車が走っていたのをとてもよく覚えています。
gop
よみがえる新日本紀行、毎週見てます。冨田勲さんのテーマ音楽はもちろん、最後の「そして今・・」が良いですね。森林鉄道は上松駅の横に広大なヤードがありました。今思えばちゃんと見て撮って乗っておけば良かったです。
https://987.blog.ss-blog.jp/2006-08-21-1
ナツパパ
この頃には、わたしも信州に行っていたのですが、長野の方ばかりで。
木曾に行けば森林鉄道もまだ動いていたのになあ。
gop
森林鉄道は昭和五十年(1975)まで残ってましたね。蒸気機関車を追っかけていた私は結局乗らず(見ただけ)少ないですが来週写真アップします。