急行「桜島・高千穂」最終日

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新幹線 博多開業前々日、
最後の西鹿児島行き急行「桜島・高千穂」1975.3.8

東京 3月8日午前 10:00発 

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名古屋 15:14着 15:19発 門司 翌日3月9日早朝 4:32着

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門司で桜島(鹿児島本線経由)高千穂(日豊本線経由)を切り離し、桜島は門司 4:40発 〜 西鹿児島 11:43着、高千穂は門司 4:51発 〜 西鹿児島 14:20着(但し別府止まりになったらしい)所要時間24時間以上、これを最後に東京〜九州間を結ぶ急行列車は無くなった。

新幹線 博多開業 1975年3月10日 

この記事へのコメント

  • ナツパパ

    高校生の頃、友人一行が桜島で鹿児島まで行きましたっけ。
    どうだった?と聞きましたら、一回乗れば十分だと(笑)
    ...でも一回くらいは乗らなきゃなあ、と煽るんですよねえ。
    わたしは結局一度も乗らず仕舞いでした。
    2022年02月19日 09:09
  • pogpog

    森繁さん若い、新しい九州新幹線はイタリアっぽい。
    2022年02月19日 16:59
  • のり

    先日、拙ブログ記事作成の参考にするため、昭和42年10月改正号の復刻版時刻表を入手しました。
    小学生の頃、食い入るように見ていた世界です。
    「ヨンサントウ」前の時刻表は、まるで宝物のような世界ですね。
    まだまだ鉄道の時代…、急行の数がすごい!
    大阪駅からも、お昼をまわれば九州行きの夜行急行が次々と発車します。
    ローカルでは、今では信じられないようなルートをゆく急行も…。循環急行なんていうのも珍しくなかったですね。
    巻頭の路線図、今はなき数々の路線が現役です。
    巻末の列車編成表の前にある一等寝台の見取図も懐かしい…。

    もう戻れぬあの時代です。
    2022年02月19日 19:19
  • gop

    > ナツパパさん
    流石に九州まで急行普通車は辛かったでしょう、私も九州行きはブルトレでした。それでも寝れなかった(ドキドキ感もあり)懐かしい思い出です。
    2022年02月19日 20:48
  • gop

    > のりさん
    九州帰省の帰り、新幹線車窓から岡山の百間川と大手饅頭の工場を見て、久々に百閒先生阿房列車とヒマラヤ山系(平山三郎氏)実歴阿房列車先生を読み直しました。本来旅は急がずのんびり行くものと思います。 
    https://www.rekishoku.jp/ja/story/175
    2022年02月19日 21:00
  • gop

    新幹線、学校の教室から見えた。当時は防音壁も無く騒音も酷かったと思う。週一回?ドクターイエローが来るのが楽しみだった(笑)
    2022年02月23日 09:59
  • しゅう

    客車が10系というのもすごいですね。(当然寝台車も連結していたのでしょう)。牽引のEF58は1980年代半ばまで活躍し、私も小学校低学年の頃は、団臨12系や荷物列車といえばこのカマで、当時は当たり前すぎてシャッターも押しませんでした。今思うともったいなかったかも。
    2022年03月07日 19:13
  • gop

    > しゅうさん
    EF58は何時の間にか消え、EF66の0番代も最後の一両になったそうで。撮っておけば・・と言う物は沢山ありますが、あの時代を経験出来ただけで良しとすべきかも知れませんね。
    ちなみに、この桜島高千穂は全車座席車の自由席でした。
    https://e231green.way-nifty.com/photos/uncategorized/p1010502.jpg
    2022年03月08日 19:42