三河線と懸垂型信号機

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碧南駅

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三河鉄道は大浜港駅(現 碧南駅)から平坂方面へ路線を延伸する際、当初の計画では玉津浦海水浴場への輸送を考慮した海岸沿いのルートで西尾鉄道港前駅に至る予定だった。

一方同時期、棚尾町が三河鉄道に対し駅設置の誘致運動を行い、駅用地提供を提言(駅至近にある志貴毘沙門天への参拝乗降客が目的)資金繰りが苦しかった三河鉄道はこの提案を受けルートを変更したが、大浜港駅から見て南に位置する玉津浦駅と、ほぼ東に位置する三河旭駅などを一本の線路で結んだため、S字状に蛇行する変わった線形となってしまった(以下地図参照)

このS字線形のため、三河旭駅、棚尾駅で上り列車に乗り遅れた学生は、そのまま頑張って二〜四つ先の碧南駅や新須磨駅(現 碧南中央駅)まで自転車を漕げば、乗り逃した列車に追いついたと言われている(三河旭〜新須磨間の直線距離は約2.1km、信号機が無い頃は自転車なら八分で移動できたが、列車は3.9kmの蛇行した線路をゆっくり進むため、碧南駅での列車交換の待ち時間もあり十分程度を要した)

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大正十五年(1926)九月一日 三河鉄道の路線として開業。
昭和十六年(1941)六月一日 三河鉄道が名古屋鉄道に合併、同社三河線となる。

昭和四十三年(1968)無人化。
平成二年(1990) 七月一日 碧南〜吉良吉田の電化設備廃止、レールバス営業開始。

平成十六年(2004)四月一日 廃止。
平成二十年(2009)七月七日 七夕。

平成三十年(2018)三月 廃線跡に碧南レールパーク完成。

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消える一灯点滅信号機(毘沙門天近く懸垂型四方向一灯点滅信号機)

この記事へのコメント

  • Cedar

    レールバスになってから一度だけ乗っています。出張の帰りでカメラもなく、ぼーっとしてるうちに吉良吉田に着いてしまったなあ。
    2021年07月07日 14:36
  • gop

    私が最後に乗ったのは800系単行の頃でした(1981〜1990)
    なかなか碧南経由で吉良吉田まで電車で行く気にはなりませんでしたね^^
    何時か地元の名君、吉良様主人公で大河ドラマやって欲しいです。
    2021年07月07日 20:55
  • のり

    私が日曜日ごとに名鉄に乗っていたのは昭和55〜56年のことですから、もう40年も前の話になります。
    三河線(海区間)は一度だけ乗り通しました。車内で小学生が騒いでいたのを運転士さんが怒鳴ったのを覚えています。
    あの頃にはまだ蒲郡行特急があり、新一宮からパノラマカーの展望席で乗り通しました。「三河湾134号」、新一宮駅ホームで係員から買い求めた特急券は今も残っています。
    ミュージックホーンがお好みの運転士さんだったようで、絶えず「あの音色」が鳴り響いていました。
    2021年07月10日 12:37
  • gop

    > のりさん
    改めて記事拝見させて頂きました。十三年前ですか。
    https://205-161-205.at.webry.info/200812/article_2.html

    私が名古屋に居たのは昭和58年まで、短い間ですがご近所だった事になりますね。パノラマカーも消えて早十年、赤い電車も少なくなり名鉄電車も隔世の感ありです。
    2021年07月10日 21:31