
「平和大橋」イサム・ノグチ(1953)

「六年前の忌まわしい雰囲気が地面に横たわっている。しかし、その地上に生活する民の顔は大きな希望に燃えて逞しい。この二つが広島の姿である」と言う広島訪問で受けた印象から、ノグチは平和大通りに掛かる二つの橋を「生と死」をテーマにデザインした。東側の「平和大橋」の欄干は太く見るからに力強い。空に向かって反る様に強く跳ね上がらせた末端部分は、まるで太陽熱を吸収するソーラー反射鏡のように、球体を半分に切った形である。昇る太陽を象徴するこの橋を、イサムは最初「生きる」と名づけた。


西平和大橋
だが、欄干が完成する頃に黒沢明監督の映画「生きる」が封切りとなって、この映画のガンにおかされて、死を目前にした男の物語と意味を取り違えられない様に、生命を表す「つくる」に改題した。西の「西平和大橋」の方は別離を意味して「ゆく」と名づけた。こちらは東側より細めの欄干を二本並行させ、末端を和船の舳先の形とした。原子爆弾で死んだ人の心は神様の所へ行ったという意味で、すなわち「ゆく」は「逝く」を意味した。ドウス昌代著「イサム・ノグチ 宿命の越境者」より
歩道幅員が狭く欄干が低く外側に迫り出している為、歩行者はもちろん自転車でのすれ違いは要注意。老朽化も進み歩道橋建設を含め整備計画が進行中。
arch-hiroshima 平和大橋
http://www.arch-hiroshima.net/arch-hiroshima/arch/delta_center/ohashi.html
広島市「平和大橋歩道橋の整備方針」の概要
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1208411697224/index.html

しかし日系アメリカ人と言うノグチの出自を理由に、難色を示す意見を丹下の恩師でもある岸田日出刀らが強硬に主張したため、ノグチ案を生かした形で丹下が再デザインする(Wikipediaより抜粋補足)確かにノグチ案ではアーチ下部の空間が狭く、丹下案の様に慰霊碑前に立って原爆ドームを覗む事は不可能だが、ノグチ案の石彫の質感は暖かくその形は何者も包み込む母性を感じる。
arch-hiroshima 平和公園慰霊碑
http://www.arch-hiroshima.net/arch-hiroshima/arch/delta_center/ireihi.html


西平和大橋
だが、欄干が完成する頃に黒沢明監督の映画「生きる」が封切りとなって、この映画のガンにおかされて、死を目前にした男の物語と意味を取り違えられない様に、生命を表す「つくる」に改題した。西の「西平和大橋」の方は別離を意味して「ゆく」と名づけた。こちらは東側より細めの欄干を二本並行させ、末端を和船の舳先の形とした。原子爆弾で死んだ人の心は神様の所へ行ったという意味で、すなわち「ゆく」は「逝く」を意味した。ドウス昌代著「イサム・ノグチ 宿命の越境者」より
歩道幅員が狭く欄干が低く外側に迫り出している為、歩行者はもちろん自転車でのすれ違いは要注意。老朽化も進み歩道橋建設を含め整備計画が進行中。
arch-hiroshima 平和大橋
http://www.arch-hiroshima.net/arch-hiroshima/arch/delta_center/ohashi.html
広島市「平和大橋歩道橋の整備方針」の概要
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1208411697224/index.html

しかし日系アメリカ人と言うノグチの出自を理由に、難色を示す意見を丹下の恩師でもある岸田日出刀らが強硬に主張したため、ノグチ案を生かした形で丹下が再デザインする(Wikipediaより抜粋補足)確かにノグチ案ではアーチ下部の空間が狭く、丹下案の様に慰霊碑前に立って原爆ドームを覗む事は不可能だが、ノグチ案の石彫の質感は暖かくその形は何者も包み込む母性を感じる。
arch-hiroshima 平和公園慰霊碑
http://www.arch-hiroshima.net/arch-hiroshima/arch/delta_center/ireihi.html
この記事へのコメント
ナツパパ
誰が良いとか間違っているとか、軽々しくは言えません。
わたしに出来ることは逝った方々のために祈ること、くらいでしょうか。
jamayan
原爆ドームも資料館?も拝見しましたが、やはり言葉では言えませんね、、。
>日系アメリカ人と言うノグチの出自を理由に、・・・
そういった出来事があったんですねぇ。(無知)
gopさんが仰るようにノグチデザインの方が暖かいですね!
gop
原爆ドームの前でピースしながら写真を撮る輩もいるそうな昨今、
如何にしてこの史実を後世に伝えて行くかと言う事でしょうか。
http://www.asahi.com/culture/update/0730/TKY200807300145.html
こうした方々のご努力には頭が下がります。
以前書きましたが、小中の修学旅行は広島必須にするべきですね。
ネズミーランドに行って学が修められるとは到底思えませんし。
gop
> そういった出来事があったんですねぇ。
当時の広島市は財源も少なく、地下空間があったノグチ案は現実的に
無理だった様です(丹下案も当初石彫だったのがコンクリになった)
本来この様なモニュメントは作者や材質でどうこう言われるものでは
無いと思いますが、被災者側にも微妙な感情があったのでしょうね。
山崎豊子さんの「二つの祖国」を思い出しました。
akira isida
この建物にも、お世話になりました。
http://www.andersen.co.jp/hiroshima/history/index.html
よく日曜日に朝食を食べに行きました。サンドイッチには揚げたてのポテトチップスが添えられてきます。かなり高い確率で会社で毎日会っている人と遭遇してしまうのが難点でした(笑)。
トロツキー・タナカ
樺太 真岡郵便局に散った9人の乙女たち
を見たばかりのとこです
この作品も 熱くこみあげてくるものがありました。
来週 広島へ行こうと思っています。
gopさんと同じところを見てこようかと思います。
トロツキー・タナカ
イサム ノグチの作品のことです。
gop
整備概要を見るとノグチの基本デザインはそのまま、新たに歩道橋を
設置する計画の様で。来年は広島市民球場も新しくなりますね。
アンデルセンはリーガロイヤルに泊まった時、朝食べに行きましたよ。
平和公園元安川沿いにオープンカフェが出来ていたのには驚きました。
http://hiroshima.keizai.biz/headline/408/
gop
日テレ55周年記念番組ですか、私はオリンピック総集編見てました。
金は僅か9個とは..現代日本は恵まれ過ぎているのかも知れませんね。
> 来週 広島へ行こうと思っています。
広島も随分涼しくなったのではないでしょうか、良い旅を。
現代美術館も合わせてどうぞ(明日載せます)
sugimecha
こんな感じで10数年、いや、20数年(汗)続いています。
一体いつになったら行けるのやらです。(非国民)
akira isida
20年前は川沿いには牡蛎打ち場が並んでいて、そこで一斗缶で殻付きを分けてもらって川原で網に乗せて焼いて食べたものです。
2枚目の写真の船が気になったんですが、これですね。
http://www.aqua-net-h.co.jp/river_day.html
宇品に住んでいたときは、友達が来ると宇品港から高速船で宮島に行って、ロープウェーで山頂往復して、フェリーで宮島口に渡って広電で帰ってくるというコースが定番でした。
gop
今日は奥様お嬢様はネズミーランド見学でしょうか(^^
確かに広島方面は女性向けの観光スポットは少ないかも。
倉敷のチボリ公園もついに閉園の様ですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080806-00000973-san-soci
gop
今は何処の都市にも観光リバークルーズがありますが、瀬戸内は
船が交通手段の一つとなっているのが他と違う所でしょうか。
実際広島の知人の一人は船で通勤している様です。
我家は全員牡蠣がダメなので、広島での夕食は苦労します。
小イワシの刺身と唐揚げ、美味しかったですよ。
akira isida
広島というと誰もが牡蛎と思いますが、夏のコイワシとオコゼ、冬のカワハギも美味しいです。
コイワシといえば、当時はまだこんなオバチャンたちが手押し車で行商で売ってましたよ。
http://www.chugoku-np.co.jp/setouti/seto/1/970103.htm
gop
東京での大雪警報みたいなものですね。
小イワシは「七回洗えば鯛の味」だそうで、確かに刺身は絶品。
http://www.hiroshimasuisan.co.jp/fish/entry-48.html
オコゼの唐揚げも頂きましたよ。
今回行ったお店はこちら、東京にも支店がありますね。
http://www.kanawa.co.jp/
> こんなオバチャンたちが手押し車で行商で売ってましたよ。
このオバチャンも松田さんですか(^^