C57 110 宮川〜山田上口 宮川橋梁にて 1973.9.23(日曜日)
当時、参宮線唯一の蒸気機関車牽引の客車列車だった 客821レ 826レ。
亀山区のC57 C58が牽引、亀山 7:21発>伊勢市 9:01着の客821レ。
折り返し 伊勢市13:08発>亀山15:00着の客826レとなった。
写真のC57 110号機は1956年(昭和三十一年)10月15日、参宮線六軒駅構内で信号見落としによる列車衝突事故(死者42名)を出した所謂「六軒事故」の被害車両。この事故で大破するが、鷹取工場でボイラー等を新製、復旧した。
以下、当日の撮影記録ノートより。
参宮線無煙化まで残り一週間、早朝 3:00父と車で出発、天気は曇り。名四〜1号線を使い、5時過ぎ宮川橋梁到着(真っ暗)既に何人か集まっており、隣の和歌山から来たおじさん(ペンタ6x7&SP)は昨日駅で寝たそうな。6時 前照灯を点けたD51の貨物が来るが、まだ辺りは薄暗い。
そうこうしていると地元の方が暖かいお茶を持って来てくれる、有難く頂く。8時 段々人が増えて来る(2-30人)噂ではC57は調子が悪くC58での運用が続いており今日も諦めていた。が、9時にやって来た客821レは C57 110牽引(嬉)平坦な宮川橋梁ではあまり出さない煙も今日は盛大で、最後の大サービスか。10時前のD51 718貨物撮影後、亀山方面へ向かう。天気は回復、薄曇り。

伊勢市駅にて 1973.9.15(日曜日)
この記事へのコメント
piazza
こんにちは。C57ってシルエットが美しい事から「貴婦人」の愛称で呼ばれて
ましたっけ、この写真見てるとそう思えますね^^
giacomo
ボクは子供の頃、確か伯備線だったか(詳しくないので間違っていたらすいません。ひょっとしたら山口かもしれません。)の待ち合わせか何かですれ違ったときに、ただ一回見たきりです。
でも、それだけ嬉しい出来事だったんですよ。今でも覚えてるわけですから。
gop
参宮線(亀山〜伊勢市)は最期まで一日一往復の客車列車が残っており、
亀山機関区のC57とC58が交替で運用に付いていました。
C58が来た時は「あんだ、C58かよ〜」と大ブーイングでしたね(^^
>giacomoさん
我々世代でも都会育ちの方の多くはSL現役時代を見ていないでしょう。
私も名古屋でしたから、小学生の頃のSLの記憶は殆どありません。
伯備線は地元育ちの友人が自身のwebサイトに写真を載せております。
http://makabe.web.infoseek.co.jp/SL/SL%20Topages.htm
腕もなかなかのもので、カメラにハマったのも判ります(^^
giacomo
D51三重連、いい絵ですねっ。
荒れた画像の向こうにこそ当時の息吹がそのまま聞こえます。
そして、伯備線という響きがそもそもいいのです。。。
gop
SLは正に生き物でした。当時の子供にとって後のスーパーカーブームと
同じ様な衝撃だったかも知れません。
伯備線は数年前「サンライズ出雲」に乗って通りました。
http://www.jr-odekake.net/guide/train/mi285_1.html
快適な寝台列車です。
giacomo
サンライズ、果たせていませんが山陰に行く時には
是非乗ってみたいと思ってました。
住宅会社が室内設計に参加したとか聞きましたが、
本当に快適そうですよねっ。
ルートは異なるものの、「出雲」の方が長く乗っていられるしなぁなんて、
まだ予定もないのに迷ってしまいます(笑)
>SLは正に生き物でした
本当にそうだったのでしょうね。。。
gop
設計はGKインダストリアルデザインだったと思います。
http://www.gk-design.co.jp/id/index.html
昔の客車寝台とは比べ物になりません、ぜひ奥様とご一緒に(^^
>>SLは正に生き物でした
>本当にそうだったのでしょうね。。。
今その代わりがPORSCHEでしょうかね(^^
トロツキー・タナカ
山口線に撮りに行った時とは全然イメージが違いますね。
煙も 今のC571はもっとおとなしいし・・。
SL時代の遺産として、ホーム上の洗面台
(顔についたスス洗いのため)
今も米原駅のホームに 残ってますね。